◆羊 夜 世界◆



第二十四夜  日常の風景

			
「おい柊二。お前学校で変な噂が立っているぞ」  放課後。いつものように俺の席まで嫌味を言いに来たと思しき悪友の敦史が、開口一番不 穏当な発言をする。 「……なんだよぶしつけに」  俺は鞄に適当に教科書やノートやらを突っ込みながら不機嫌そうに返す。これから楽しい 放課後、そして楽しい仕事の時間だというのに。まったくこの男は。 「ふん、そんな態度でいられるのは今のうちだ」 「おい敦史。お前はいつからそんなに偉くなったんだ? 風紀委員気取りか?」 「左様。それがしは風紀警察でござる」 「そうか、お帰りはあちらでござる」 「これはこれはご親切に……って違うわ! お前に訊きたいことがあるんだよ!」 「めんどくさいなあ……」  早くマンションに行きたいのに……。 「いやさ、つらい事があるなら相談のるぞ? いくらあの自堕落万年数学赤点柊二殿とはい え、こうも堕ちるところまで堕ちていくのは見ていて忍びないでござるからな。友の間違い を正すことも親友の務めなり」 「なんかいきなり随分な言いぐさだな……」  話がまるで見えない。しかもちょっと本気で心配しているっぽいのが余計気になる。新た な嫌味の手法でも思いついたか。 「柊二。お前は大概わがままで自由奔放な奴だが、決してそんなことをする奴じゃなかった 筈だ。一体何がお前そうさせたんだ、ん? どれ今日はじっくり話をきいてやろうじゃない か」  敦史はそう言って、前の席にどっかりと座りおもむろに手を組んだ。その間片時もこちら から目を離さない。お前はベテラン刑事か。 「なんだよ言いたいことがあるんならはっきり言えよ。さっきから何のことを言っているの かさっぱり分からんぞ」  俺は呆れて肩をすくめながら言った。 「果たしていつまでとぼけていられるかな。いいか。お前の証言によっては法廷で不利な立 場になることがあるぞ。せいぜい気を付けるこったな」  敦史が顔を近づけて凄む。この割とマジなトーンはまるでとんでもない重犯罪でも犯した かのような扱いだ。 「ちょっと待て。こちらには黙秘権がある筈だ。それと弁護士を同席させる権利もだ。弁護 士を呼んでくれ弁護士を! これは立派な人権侵害だ!」  俺は教室中に聞こえる様な大声で喚く。それにクラスメイト達はまたか、と苦笑いを浮か べているが、まあ仕方がない。敦史が関わるとなぜかいつもこうだ。 「ふん、小賢しい知識をつけやがってからに。ああそうだなお前のお抱えの弁護士がいたな。 よし分かった、来い」  そう言って敦史は隣の席でスマートフォンをいじっていた楓を手招きして呼び寄せた。 「ん、わたし?」  なんてことだ。楓に弁護なんかされた日には、本人にその意図はなくとも確実にこちら側 が不利になるぞ。楓には悪いけれどこれならその辺の空地に住んでいる野良猫を弁護士にし た方が幾分マシなレベルだ。いや本当に楓には悪いけれど。 「え、なになに? どうかしたの?」  ハテナマークを浮かべた楓がぱたぱたとこちらの席までやってくる。俺はそれに答えず肩 をすくめた。 「よしこれなら文句ないな。尋問を続けるぞ」  敦史がこちらに向き直り厳しい顔で睨みつける。もし机の上に電気スタンドがあれば向け られそうな勢いだ。 「最近お前が近所の年端もいかない外国人の中学生をたぶらかしているって話だ。おい、こ れ本当の話か?」 「……」  俺は絶句した。ピンポイントに心当たりがあり過ぎる。いや、心当たりがあるといっても 勿論下衆な敦史が想像しているようなことは一切していないが、きっとあれ関連のことだろ う。というかそれ以外にない。俺は頭を抱えたくなった。 「その反応……。黒だな」  敦史がまるで何人もの刺客を葬ったかのような歴戦の手練れの忍者の様にすっと目を細め る。 「ばかやろう! 俺に何の断りもなしに……! なんとうらやまし……じゃなかった。お前 は今日から俺の……いや、男の敵だ。けっ、さっさとくたばっちまえ」  そしていきなり子供じみた口調で吐き捨てるように言った。 「うそ……柊二そんなことしてたの?」  楓が軽く引いている。純粋過ぎるだろ。少しは疑ってくれ。 「する訳ないだろ。いい加減なことを言うな」 「……ん、っていうかわたしその女の子見たことあるかも」  驚いて思わず敦史と二人して振り向く。 「うん、多分。この前……夕方ぐらいだったかな。柊二と一緒に通学路を歩いてたよね。確 かこーんな感じの髪型してなかったかな?」  楓はそういうや否や、自分の髪の両サイドを掴んで見せた。 「あはは、似てる似てる!」  俺は思わず手を叩いて爆笑した。まさにそんな感じだ。結構似てるぞ。 「ほうほうツインテールなのか」  敦史が更に目を細める。あ、しまった。 「やっぱりそうだったんだ。でもあんな年端もいかない女の子をたぶらかすなんて。もちろ んちゃんとした事情があるんだよね?」  楓も瞬時にふざけるの止め、じっと座った目で俺を見る。 「…………」  楓と敦史の二人の冷たい視線が突き刺さる。それにやれやれと、わざとらしく大きなため 息をついた。 「あのなあ……お前らが何を勘違いしているか知らんけどな、そんな事実は一切ないぞ。あ れは俺の遠い親戚だ」  とっさに嘘をついた。かなり苦しい嘘だ。こんな言い訳でだまされる奴がいるのか。 「え! そうだったんだ! なあんだ今度連れて来てよ」 「紹介しろ」 「ん……それは無理だな」  思わず吹き出しそうになるのをなんとか堪え俺はそう口にした。 このお二人さんは揃いも揃ってどこまで単純……いや、純粋なんだ。それにそもそも俺の親 戚に外人などいない。 「へ、どうせそう言うと思ったよ。ったく本当につまらん奴だな。あーつまらん」  敦史が嫌味ったらしく言った。 「分かった分かったしょうがないな。じゃあせめてひとついいことを教えといてやるよ。最 近の外人の女の子はとにかくハンバーガーに目が無いらしい」 「なんだそのそりゃそうだ的な当たり前っぽい感じの適当情報は」  敦史はうさんくさそうな顔をして言った。「確かなのか」 「ああ勿論だ。その親戚の子も大好きだ。最低でも二日に一度は必ず食べる」 「よし分かった!」  何が分かったのだろうか。そう言うやいなや敦史は足早に教室を出ていった。 ◇ 「こりゃ一度きちんと誤解を解いておかないとな……」  ぶつぶつと言いながら廊下を歩く。まったく、俺はどこにでもいる平和と平穏を心から愛 する善良な一生徒だというのに、校内を歩く度に誰彼構わず見ず知らずの人間にひそひそさ れるのは勘弁願いたい。  ま、この前の雛菊との出会いといい確かに事情を知らぬものが一緒に歩いているところな んかを見たら、そりゃああらぬ疑いをかけられても仕方がないかもしれないけど。かといっ てもちろん仕事のことを話すことなんか出来る訳がない。  何にせよ今後の平穏な高校生活の為にも、何かしらの手は打たないといけないだろう。 「おや、柊二君じゃないか。これから準備室に行くのかい?」 「あ、鈴木先生」  決意を新たにしたところで丁度ばったり出くわしたのは、数学の鈴木先生だった。

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